会報 第50号

Rise 第50号 2018年8月10日発行

  

改憲・戦争阻止!

イラク派兵で負傷-池田・自衛隊裁判の勝利へ、共に闘おう!

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投稿

9条改憲・戦争絶対阻止!

池田自衛隊裁判に勝利しよう

元自衛官・東京西部ユニオン 杉橋幸雄

はじめに

 イラク派兵で重傷を負い、国・自衛隊の安全配慮義務違反、治療妨害、パワハラ・退職強要と闘う池田元3等空曹の国家賠償請求訴訟は、9条改憲をめぐる激しい階級激突の真っただ中で、予定される公判再開に向かって大詰めを迎えています。
 弁護団は未だ開示されていないイラク派兵に関する「空自日報」の開示請求や、池田さんに対するパワハラを立証する「警務隊記録」の文書提出命令を求めて闘い抜いています。そうしたさなか、去る7月11日、池田国賠裁判勝利に向けた学習会が行われ参加してきました。

原告の主な主張

(1)原告は、被告・自衛隊自身が参加を推奨し、上官の許可のもとでクエートにおけるマラソン大会に参加中、米軍委託の大型バスにはねられて負傷した。しかし、被告は交通統制不十分なマラソンコースでの原告の生命・身体の危険から保護する為の人的・物的措置を何ら講じていなかったこと(安全配慮義務違反、国家賠償法上の違法性あり)。

(2)負傷した原告に対し、適切な治療を施さず、且つ、原告を早期に帰国させなかったこと(後送義務違反)

(3)帰国後、原告が十分な治療を受けられるよう配慮せず、原告の病状を無視した職場配置を行ったこと。

(4)症状が治癒(症状固定)していないにもかかわらず、原告に対し執拗に症状固定の同意を求め圧力をかけ療養補償給付を打ち切ったこと。

(5)パワーハラスメント等の違法行為をもって原告を退職に追い込んだこと。

 以上のような違法行為を行ったことを理由として、国家賠償法第1.条1.項に基づき、損害賠償を請求している事件である。

イラク派兵で負傷

(1)陸上自衛隊は04年~06年にイラク南部のサマワに計5500人を派兵。航空自衛隊は04年~08年にイラク隣国のクエートに計3600人を派兵した。

(2)原告の池田元3等空曹は06年4月、イラク派兵でクェートのアリ・アッサーレム空軍基地に通信士として派兵され、7名の通信士のクルー・チーフに選ばれた。

(3)06年7月4日、原告は自衛隊が参加を奨励した米帝の独立記念行事のマラソン大会に、上官の許可を得て参加し、米兵を追い抜いてトップ・グループを走っていたところ、米軍委託の大型バス(民間軍事会社ハリバートンの子会社:KBR社)に後方からはねられ、左半身を強打、意識不明となった。

事故後の経緯

(1)被告は十分な治療も後送もせずイラクに留め置いた。

後送(帰国)拒否

 負傷から23時間後、池田さんはようやく意識を回復したが、「首や肩に激痛がありました。足を見ると血だらけで、口を開けようとした途端、激痛が襲った。鏡を見た。左顎が斜めに歪んでいる。どうやっても口が開かない。上下の歯の間がものの1センチも開かない。全身が痛い」。
 空自衛生隊の医官に症状を訴え、病院への搬送を求めたところ「米軍にひかれたんだから、米軍のところで診てもらえ」と言うのみで病院搬送を拒否された。現地副司令官からは「公務上災害だから安心しろ」と言われたが、現地空自衛生隊にはレントゲン設備すらなく、触診・首のコルセット・精神安定剤のみで十分な診察・治療が受けられなかった。負傷した池田さんは通信員としての職務を果たすことがほとんどできなくなった。 不安になった池田さんは、再三後送(帰国)を求めたが受け入れられず、空自派遣期間満了となる2006年8月末までイラクに留め置かれた。隊員の負傷など顧みないこうした扱いが池田さんの容態を悪化させたのだ。
 
(2)適切な治療の怠り・公務災害認定手続きの怠り・安全配慮義務違反。

治療と公務災害の拒否

 06年2月25日、池田さんは任務終了で小牧基地に帰国。自衛隊は当初、池田さんの公務災害の認定手続きを怠り、「海外保険」で対応させていた。しかも、当初は勤務時間内の通院を認めなかった。また、本来自由に利用できるはずの休暇を利用して通院することを強制した。
 
 同年8月28日、小牧市民病院(整形外科)受診、「頸部捻挫、左肩挫傷」と診断。同年9月4日、小牧市民病院(脳神経外科)受診。
 同年9月8日、浅野外科内科への通院リハビリ開始。この時も、上司は「勤務終了後の通院」を指示。そのため、仕事の疲れと診察待ちの疲れが重なり、帰宅時間も遅くなり、かえって症状が悪化していった。
 同年9月11日、小牧市民病院(口腔外科)受診、「外傷性顎関節症」と診断。両側顎関節部の開閉口時の疼痛及び開口障害。開口量20ミリで顎関節部に疼痛及びクリック音。最大開口量42ミリあるも、開口量20ミリ前後で顎関節のロック及びクリック音()。
 担当医師からは「なぜもっと早く受診しなかったのか」と厳しく咎められた。
 同年9月21日、不眠症が改善しなかったため、小牧市民病院(精神科)受診。「反復心因性うつ病、不眠症」と診断された。
 担当医師に「仕事がきつい、(職場に)行きたくない」と訴えた。激しい痛みと不安から自動車の運転もできなくなった。

※クリック音とは
 顎を開いたり 閉じたりする時に、顎の骨が、ずれてしまった関節円板に引っ掛かかり、それを乗り越えるときに起こる「カクッ」や「ガクッ」といった音のことを言います。

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イラクでの空自の任務は武装米兵の輸送

 2004年3月3日から2008年12月12日の間、空自(のべ約3,600名)のイラクでの活動は、輸送回数:821回、輸送人員:約46,479名、輸送貨物:約673トンである。輸送した人員の半数以上の23,727人が武装米兵である。国連職員の輸送はわずか6%だ。「イラク復興支援特別措置法」は、イラク復興のための支援を「人道復興支援活動」、治安維持を行う米軍などへの後方支援を「安全確保支援活動」と二つの活動を定義し、さらに細部を定めた基本計画で「人道復興支援活動が中心」と“人道”に力点を置くことを明記している。だとすれば、池田さんが所属する空自の活動は、「航空機により人道復興支援物資等を輸送する」(同計画)ことでなければならない。だが事実は、真逆である。
 空輸計画部長を務めた一等空佐は、「多国籍軍のために輸送力を提供しているのは日本だけ。空輸している人数は、イラクにいる人数を反映して国連職員より米兵が圧倒的に多い」。基本計画に従えば、空輸の優先順位は、(1)人道復興支援物資、(2)国連などの国際機関職員、(3)米兵などの多国籍軍兵士、となるはずだが、現実には逆の順番になっていることを認めている。防衛省は「米軍の武器そのものは空輸していないが、武器を持った米兵を運ぶことはイラク特措法で認められている」と武装米兵の空輸を公然と認め、安倍は日米一体のイラク侵略戦争を「あくまで、イラク特措法に基づく輸送だった」と 居直り、改憲と戦争、核武装に突進している。「改憲・戦争阻止大行進運動」で安倍を倒そう!
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医師・「特別配慮」を要請

 同年10月1.日、池田さんの症状悪化をみかねた浅野外科内科の担当医師は自衛隊通信隊長宛てに「(池田さんの)勤務時間等について」「特別な配慮を」要請する書簡報告を提出。これにより、ようやく「勤務時間中の通院」が許された。
 同年11月7日、MRI検査。 その結果、左顎の関節中にある関節円盤という軟骨が前方にずれている状態(関節円盤前方転移)と判明。治療に3~6月ヶ月程度要するとの診断。
 同年12月末、これまで、自衛隊が公務災害認定手続きを怠って池田さんに「海外保険」で対応させていたが、その「海外保険」が終了となった。そのため、池田さんは翌年1月からはリハビリ通院が思うようにできなくなってしまった。

(3)治療妨害、突然の異動、公務災害認定されるも症状悪化。

(写真 イラクPKOで空自派遣に向けた編成完結式で整列した自衛隊員。後方はイラク派兵仕様のC-130輸送機=2003年12月24日、航空自衛隊小牧基地。池田元三等空曹も当時、小牧基地所属)

治療妨害

 07年1月、池田さんの公務災害認定手続きを進めるにあたって小牧基地の上司は、「うつを直せ」「(担当医師に)完治したと書いてもらえ」と執拗に指示した。   やむなく池田さんは、小牧市民病院(精神科)通院時に「アゴは公務災害が認められた。その後よく眠れる」と嘘をつき、カルテに「心因性うつ病、不眠治療完治する」と虚偽の記載をしてもらった。 そして「嘘のカルテ」を自衛隊に提出することにより、小牧市民病院(精神科)への通院治療ができなくなってしまった。まさに、踏んだり蹴ったりであり、明白な治療妨害である。断じて許されるものではない。
 そうした矢先の同年3月20日、突然、新潟救難隊への異動を命じられた。
 同年4月20日、新潟大学医歯学総合病院(顎顔面外科)受診。
 同年5月31日、イラク派兵で負傷してから約10ヶ月経って、ようやく公務災害として認定された。(顎部捻挫、左肩挫傷、外傷性顎関節症)。

症状悪化

 しかし、08年になっても開口障害に改善がみられず、生活障害が著しいため、新潟大学医歯学総合病院に入院、顎両側関節円盤除去手術を行った。ところが、退院後、十分な回復とリハビリを施す暇も与えられず、すぐに職場復帰を命じられた。このような理不尽な扱いにより、同年8月中旬頃から不眠、動悸、不安が増悪し、同年8月24日、パニック発作で新津親愛病院に救急受診となった。開口量徐々に減少。
 同年11月21日、うつ状態、不眠症が続いていたため、新潟大学医歯学総合病院(精神科)を受診し、通院を始める。

(4)執拗で悪質な公務災害治療打ち切り攻撃。
 
 10年11月16日、入間基地から公務災害担当2名が新潟救難隊に来訪。開口量15ミリ前後とされ、「本人が頑張る意志があるようであれば今後も通院とする」という記録あり、症状が治癒(症状固定)の段階ではなかったことを裏付けている。

悪質な治療打ち切りと、脅し

 ところが、同じころ、新潟救難隊の上司らから呼び出され、「症状固定」「治療打ち切り」に同意するよう執拗に説得された。その際、過去に負傷して何年も通院した自衛官が、後に過去5年間遡って治療費の返還を求められたことがあると脅された。
 しかも、上司は新潟大学歯学総合病院に出向き、担当医師に「上司としては、症状改善がなければ症状固定として扱い、公費負担は中止したい」と申し入れた。
 しかし、池田さんに対する公務災害治療打ち切り攻撃はこれにとどまらなかった。
 同年11月29日、埼玉県入間基地にある中部航空警戒管制司令部厚生班長の1等空尉、業務班長、通電班長、3等空曹らから呼び出され、「症状固定」とするよう説得された。しかし、池田さんは同意せず、「現在の状況から継続して治療することを望む」「公務災害が治癒となった場合、今後自己負担で治療を継続しなければならない為、金銭面で不安を感じる」と正直に述べた。

(写真 サマワの宿営地に入る自衛隊員【2004年】)

症状固定の強制

 同年11月30日、再び、入間基地の中部航空警戒管制司令部厚生班班長の1等空尉他1名がやってきて、池田さん同席のもと、新潟臨港病院の主治医と面談。カルテには「入間基地 症状固定・・・返還の可能性 顎関節症がmain
か」と記載されている。
 同年12月20日、三度、入間基地の中部航空警戒管制司令部厚生班班長の1等空尉らが、「症状固定」の「診断書の下書き」持参で新潟救難隊を訪れ、池田さん同席のもと、新潟大学歯学総合病院の主治医と面談。
 池田さんは同1等空尉らの退席を求め、主治医に「精神外にて・・職場から圧力がかかって・・・ 幹部に囲まれて・・ 乗り物が怖くて・・ 絶対出勤してこいと・・・」と愁訴している。しかし、やむなく「症状固定」とする診断書の作成に同意した。
 そして四たび、同年12月21日、同1等空尉らは、池田さんを伴って新潟臨港病院を訪れ、主治医と面談。この際も「(症状固定の)診断書の下書き」を持参していた。この時も、池田さんは同1等空尉らの退席を求め、主治医と話した。主治医からは「症状は改善していないし、悪化しているのに、本当に治癒の診断書を書いて良いのか」と念を押された。
 池田さんは、カルテ作成に政治的な圧力が働いて、今回、治癒の診断をすることにやむなく同意した事実を記載してもらうことにした。

公務災害給付の打ち切り

 自衛隊側の異常な執念とも言えるこれら圧力により、10年12月、池田さんの公務災害療養給付は打ち切られた。まさに「労災つぶし」であり、違法そのものだ!

(5)人事異動の裏切り、M3曹の暴行・通信班からの締め出し、示談の強要。

異動内定の取り消し

 11年2月上旬、新潟救難隊の業務小隊長から「3月末で小牧基地に異動させる」との内示があった。内示を受け、池田さんは同年3月に家族を先に小牧基地近くに引越しさせた。ところが、3月末になって、同小隊長から「3月末の異動はなくなった」と告げられた。異動がなくなったのは「小牧でゴタゴタがあった」からだという意味不明な説明である。池田さんは「約束と違う」と強く抗議したが、同小隊長は「今回はなかったが、8月末には必ず(小牧に)帰してやる」と言い訳した。池田さんは3月末の「異動なし」により、4月から庁舎内居住となった。

暴行事件と脅し

 同年6月29日、池田さんが携帯電話で納品業者と調整していたところ、後輩のNから「うるさいから外でしゃべって下さい」と言われ、池田さんが「業者との調整中にうるさいとは何事か」と返答したところ、近くにいた後輩のM3曹が突然割って入り、池田さんの胸を掌底で強打した。しかも、強烈な痛みにうずくまっていた池田さんに対し「それでも自衛官か」と吐き捨てた。池田さんは全治2週間の「前胸部圧挫傷」を負った。
 池田さんが病院から帰ってくると、上司の班長と係長と3人で話し合うことになった。この時点では、係長のK2曹は、M3曹が池田さんの胸を掌底で強打したところを「確かに見た」と答えた。
 ところがその後、新潟救難隊隊長ら7人の幹部から池田さんのみが呼び出され、「今回の件はお前が悪い」と一方的に罵声を浴びせられた。しかも、ついさっきはM3曹の暴行を「確かに見た」と言っていた係長のK2曹は「見ていません」と白を切ったのだ。

(写真 2008年4月17日、名古屋高裁が、イラクでの空自活動を「武力行使の放棄を定めた憲法9条1項に違反している」と断じた。自衛隊の存在や活動が憲法9条に違反するとの「違憲判決」が確定したのは、戦後、初めて。1973年の長沼ナイキ基地訴訟は二審で原告が逆転敗訴し、最高裁は上告を棄却した)

「警務隊を呼んだら、自衛隊におれなくする」

 どうしても納得がいかなかった池田さんは「では、警務隊を呼んで下さい。警務隊に白黒つけてもらう他ありません」と幹部らに告げた。すると新潟救難隊隊長は突然いきりたち「お前、警務隊を呼んだ時には自衛隊におれなくしてやるからな」と言い放った。

通信班からの排除

 そして、「M3曹の暴行事件」の翌日、池田さんがいつものように通信班に出勤したところ、入室用のパスワードが使えなくされていた。
 中にいた若年隊員から「池田さんは、ここには入れません」と言われ、通信班長からは「池田、お前は今日から庶務班だ」と一方的に告げられた。 公式な異動内示もないまま、通信班から締め出された。

 同年7月2日頃、池田さんは、M3曹の暴行の件を警務隊に通報した。
 その翌々日、通信班所属の池田さんは、前例のない庶務係への異動を命じられた。
 そして、部下に対するイジメで有名なY空曹長のもとで働くよう指示された。
 庶務係のY空曹長は池田さんが体の痛みから重いものが持てず、走ったり肉体訓練ができない事を知っていながら、無理難題を繰り返し押し付けた。

 同じ7月、「8月には必ず」小牧基地に異動できると確信していた池田さんに対し、上司から小牧基地への8月末異動が無くなったことを告げられた。突然の「異動なし」に驚いた池田さんは、その理由を訊ねたところ、「小牧で裁判をしている実例があるから」と理由にならない理由を述べた。3月と8月、池田さんは二度にわたって裏切られたのだ。

暴行事件の示談強要

 同年8月1日、入間基地にある飛行群司令のK1佐がわざわざ新潟救難隊にやってきて池田さんを呼びだした。通された部屋には飛行群司令のK1佐、新潟救難隊隊長のS1佐、そして池田さんに暴行したM3曹がいた。K1佐は池田さんに対して「お前のためだけに来てるんだぞ」と言い放ち、「池田お前、シロだったんだから気がすんだだろ」と述べた。池田さんは「肉体的には治りましたが、精神的には治っていません」と述べると、K1佐は「面白いことを言うな」と述べ、面倒臭そうに「示談してくれや」と言いながら、持参した「示談書」に署名するよううながし、且つ、入間基地警務隊隊長に電話して「示談書」の文面を読み上げるよう迫った。
 隊員間のもめごとに飛行群司令が介入すること自体、極めて異例であり、パワハラの極みに他ならない。池田さんは、やむなく「示談書」に署名し、入間基地警務隊隊長に電話して「示談書」を読み上げた。この時の池田さんの心中はいかばかりであったろうか・・・。
 
 同年8・月26日、身も心もずたずたにされた池田さんは、自衛隊に退職を申し出、同年10月31日付で自衛隊を退職した。そして、12年9月、名古屋地裁に提訴した。

(写真 違憲判決後、帰国のためにC130輸送機に乗り込む空自隊員=2008年12月17日、クウェートのアリ・アッサーレム基地)

帝国主義軍隊=自衛隊は隊員を守らない

 学習会を通じて改めて痛感したことは、自衛隊はどんなにきれいごとを並べても帝国主義軍隊に他ならず、絶対に隊員を守らない、ということです。
 そして「安全配慮義務」とは隊員を「戦場に送り込む為の口実」に他ならず、国・自衛隊は「安全配慮義務」すら守らない、ということです。
 何故なら、自衛隊は1%の資本家連中の延命の為にあるからです。「生産性」が優先され、一旦負傷したら「厄介者」として扱われ、その尊厳さえも踏みにじられ、職場から強引に排除される。「資本の論理」そのものです。
 理不尽で実に許しがたい自衛隊の対応に対し、隊内にあっても池田さんなりに必死に闘ってきたのだと思います。退職に追い込まれはしたが、階級性に目覚め、断固として提訴に踏み切った。それはまさに「生きさせろ!」の闘いそのものだと思います。しっかりと受け止め、団結して共に闘い抜いていきたいと思います。
 被告である国・自衛隊は「空自日報」や「警務隊記録」の提出・開示を拒んでいます。やましい事があるからです。そこに、労働者の一員である隊員にとって、戦争とは国家とは自衛隊とは何かという階級的・本質的姿が隠しようもなく示されています。

国際連帯で戦争阻止・兵士獲得、池田裁判の勝利へ

 国際連帯のもと9条改憲・戦争絶対阻止!安倍打倒の闘いとして、自衛隊解体・兵士獲得の闘いとして、国・自衛隊の本質を徹底的に暴き出し、居直り・隠ぺいを許さず、団結を打ち固め、池田国賠裁判に絶対に勝利しましょう!

日米一体の侵略戦争を居直り9条改憲狙う安倍政権を倒そう!

 2003年3月20日に強行されたイラク戦争は、米帝CIAのデマを根拠とした紛れもない侵略戦争でした。この犯罪的で破滅的な侵略戦争を真っ先に支持した小泉政権は、2004年4月から「イラク復興支援」の美名の下に多くの自衛官をイラクに派兵し、侵略戦争の片棒を担がせ、揚句に自殺やPTSDに追い込んだ。
 イラク現地で重傷を負った池田さんもその一人に他なりません。しかも、安倍政権はいまだ総括も検証も一切行わず、日米一体を示す「空自日報」を隠したまま「働き方改革法案」を強行採決し、福祉予算は切り縮め、防衛費を増大させ、敵基地攻撃能力等の一大軍拡と9条改憲・戦争への道に絶望的に突き進んでいます。断じて許すことはできません。9条改憲狙う安倍政権を労働者・兵士の団結で絶対に打倒しよう!
 了

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軍隊の崩壊とプロレタリア革命

滝山

帝国主義軍隊は内部から崩壊する

 米軍をはじめ帝国主義軍隊は、すでに、戦争維持が困難なところにまで崩壊的状態に陥っている。
 「戦争の担い手」は、兵士=労働者だ。その兵士・労働者が帝国主義支配階級の利害のために戦場で、また日々の隊内勤務の中で、「訓練」と称する国家暴力によって破壊され続けている。それを明解に示しているのが池田自衛隊裁判である。池田裁判は同時に、闘えば勝てることを示している。
 軍隊内や帰還兵のなかで、膨大な数で発現している「反乱」や自殺、PTSDが示していることは、1%の支配階級の利益と延命のための帝国主義侵略戦争が、兵士と99%の労働者階級人民の人間性を破壊し、死に追いやっているという現実である。そもそも軍隊という国家暴力の組織を構成する中核は軍服を着た労働者だ。

帝国主義軍隊の根本的矛盾

 帝国主義軍隊が抱える根本的矛盾は被抑圧階級である労働者階級の家族が国家暴力の担い手であるということだ。1%の支配階級の利益と延命のために、99%の労働者階級が半強制的・強制的に動員されているという社会的構造=階級的構造である。職場・生産点における資本との非和解の階級対立と同様、それ以上に暴力が支配する軍隊内「職場」は生産点現場以上に階級対立が非和解に激化する「階級間戦争」の現場である。

極限化する帝国主義軍隊の内部崩壊

 人間は自らの行為が階級的な社会的正義に基づかなければ自己の行為を継続・維持することはできない存在である。「国を守る」「自衛のための戦争」という排外主義イデオロギーのもとで兵士が己以外の人間を殲滅する行為に疑問を抱き、帝国主義戦争の不正義性に怒りが瞬間的に生じた場合でも軍隊の崩壊が始まる。「前線」と「後方」における「兵士の反乱」「命令拒否」「発病」「自殺」「逃亡」「訴訟」どはその現れだ。
 防衛省は2015年5月27日、3月末時点で、「イラク特措法で派兵された陸海空自衛隊員29人が帰国後自殺し、「テロ特措法」でインド洋上での給油活動に派兵された海空自衛隊員25人が自殺したことを明らかにした。イラクに派兵された自衛隊員は、陸海空で約9310人。インド洋に派兵された空海の自衛隊員は、延べ約1%万3800人だが実数は明らかにされていない。これらを前提にすれば、418人に1人が自殺し、自衛隊全体(13年度)と比べても約7・1倍である。14年内閣府統計の年間自殺者と比較すれば約12倍の高率だ。
 イラク・アフガン帰還米兵200万のうち60万人以上がPTSDである。12年の帰還米兵の自殺は320人。この年の米兵の戦死者は311人(米陸軍公衆衛生司令部)で自殺が戦死を上回っている。帰還米兵の自殺者は1日に22人だ!これは過去2ヶ月間の平均数だ。単順に計算すれば年間の自殺者は8000人になる。1%の利益のために行われる戦争が、兵士と労働者を根底から破壊し、それ自体が軍隊の崩壊である。

労働者・兵士の行動で安倍を倒そう

 安倍は改憲・戦争、核武装に突進している。
 米朝会談の破綻が、核戦争の危機を高めている。侵略戦争は、「議会内のお喋り」ではなくプロレタリア革命に向かう労働者階級の実力によって阻止できる。昨年3月、韓国の「ローソク革命」圧殺の軍事クーデーターを韓国労働者と軍隊内兵士の実力で阻止した。
階級的労働運動の前進で兵士と共に、安倍政権を実力で倒そう!