第68号

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巻頭言

国を守るな!命を守れ!自国政府を打ち倒し、社会を変えよう    

東京西部ユニオン(元自衛官)杉橋幸雄

 

◆戦争やめろ!帝国主義にもスターリン主義にも未来はない!

 広島・長崎への原爆投下から77年。77年経っても世界から戦争も核兵器もなくなるどころか、ウクライナ戦争が世界戦争に転化し、核戦争になりかねない事態です。一切の元凶は没落米帝の巻き返しをかけた対中国侵略戦争への歴史的踏込であり、それが今や、帝国主義陣営と新旧スターリン主義陣営の世界戦争に転化し、核戦争の危機を激しく引き寄せ、その矢面に労働者・兵士たちが否応なく立たされ、殺し合い・奪い合いを強いられています。帝国主義にもスターリン主義にも未来など絶対にありません!こんな現実は一刻も早く終わらせなければなりません。こうした危機的事態に、世界各地で、そして日本においても戦争に反対し社会の根底的変革をめざす労働者階級の闘いが増々爆発しています。

 

◆自衛官は侵略戦争の銃を握るな!団結して戦争を止めよう!

 この狭い地球上で核武装までして戦争をすることなど絶対に許されないことです。にもかかわらず、米帝は核戦争をも想定し、米日一体となって中国侵略戦争を急ピッチで準備しています。その最前線が沖縄であり先島諸島です。ウクライナでは核戦争を避ける行動をとってきた米帝は、対中国戦争となればそうはいかない事を「百も承知」です。実際、戦術核弾頭搭載可能の中距離ミサイル配備を開始しており、核戦争を想定したエアシーバトルと一体で米海兵隊と自衛隊を中心とするEABO(機動展開前進基地作戦)の実戦訓練が昨年来から展開されています。今度ばかりは自衛隊は「後方支援」では済まされません。しかも、米ペロシ下院議長に続き米国議員団の台湾訪問もあり、中国は激甚に反応し「台湾有事」が増々現実味を増し、一触即発の事態です。一旦始まった戦争はそう簡単には止められません。だからこそ今、軍服を着た労働者=自衛官の皆さんに強く訴えたいと思います。全ての自衛官は戦争命令を拒否し闘う労働者民衆と団結しよう!団結して戦争を止めよう!

 

◆自国政府を打ち倒し、人間らしく生きられる社会をめざそう!

 世界戦争・核戦争の危機の下で安倍銃撃死と旧統一教会との歴史的な癒着関係を突きつけられ、追い詰められている日帝・岸田政権は、第2次岸田内閣を「有事の政策断行内閣」として「安倍国葬」を突破口に改憲・戦争国家化・中国侵略戦争に突き進もうとしています。断じて許せません!「安倍国葬」攻撃を打ち破り、改憲と戦争に突き進む岸田政権を絶対に打倒しようではありませんか!いっさいは「戦争絶対阻止!」の日本の労働運動・階級闘争にかかっています。全国の労働者・学生・市民・兵士の団結した力で排外主義・総翼賛化攻撃を打ち破り、呼びかけ3労組を基軸に11・6全国労働者集会の大成功をかちとりましょう!国際連帯をいっそうかちとり、世界の労働者・兵士の団結で新自由主義を終わらせ、人間らしく生きられる社会を断固、創造していこうではありませんか!

 

侵略の銃をとるな 兵士の命を守ろう                        舞鶴の海上自衛隊「展示訓練」反対、響き渡る                                                                                                                                                                                                                                                                          

改憲・戦争阻止!大行動・関西N

 

◯舞鶴を中国侵略戦争の出撃基地にするな!

 7月16日、「展示訓練」反対の集会後、直ちにデモを叩きつけ、岸田政権と海自の目論見を打ち砕きました。午後3時頃、「展示訓練」を終え、ちょうど帰港した護衛艦。その甲板に出ている大勢の自衛隊員と参加者、そして北水桟橋の水兵に向かって戦争反対・改憲阻止の声をあげ、「国を守るな、命を守れ!」と強く訴えました。
 翻る労働組合の旗を先頭に、「自衛隊の兵士の皆さん!侵略戦争の銃を中国や朝鮮のきょうだいに向けないでください。舞鶴から侵略戦争の出兵を拒否しよう。自衛官と労働者は団結して、戦争に反対しましょう!」と呼びかけました。
 ウクライナ戦争は世界戦争の始まりであり、そして中国への侵略戦争策動が激化しています。6月29日からのNATOの首脳会議では、ウクライナ戦争の先に中国への侵略戦争を狙っていることがあけすけに表明されています。

 

◯「展示訓練」は労働者・市民を侵略戦争に動員する攻撃だ

 市民が「応募」して、海自の艦艇に乗船して洋上から演習を見学するのが「展示訓練」で、8年ぶりの7月16日に実施されました。海自創設70周年の節目を記念した取り組みと称して、自治体の幹部職員等・議員らも招待し、見学を強要しました。「カッコいい軍艦」「国民を守ってくれる自衛隊」と言わんばかりのイベントを通じて、確実に戦争容認・国防意識を植え付け、労働者・市民を戦争に動員することを狙っています。訓練は「カッコのいい」ものではありません。人殺しの訓練です。戦争動員・協力に反対しましょう。                                                                       ————————————————————————- 7月16日、〔改憲・戦争阻止!大行進・関西〕の主催、舞鶴港前島みなと公園で「展示訓練」反対の抗議集会を行いました。京都府職労舞鶴支部の司会で、主催者の大行進・関西の赤田さんのあいさつから始まり、関西地区生コン支部の武谷書記次長、大行進・京滋の相川さん、舞鶴支部の長岡支部長、全学連の長江書記長の発言が続きました。東京の国鉄を軸とした労働運動を蘇らせる集会と一体で、舞鶴基地に一大反撃を叩きつけました。     ————————————————————————-

 

◯安倍・元首相の死は当然の末路だ

 冒頭から、全発言者が安倍銃撃事件に触れ、「安倍が仕掛けた大攻撃で自らが打倒された。自業自得だ」「就職氷河期時代の元自衛官が統一教会によって家庭崩壊に追い込まれた。生きていけない世の中にしたのが統一教会であり、そしてこんな社会にした最大の元凶が安倍晋三である。そこに怒りが爆発した」と事態の本質を明確に突き出しました。解決の道は、この怒りの根本原因を取り除き、世の中を変える力に組織していくことにあります。誰も労働者人民の敵である安倍の死に同情するものなどいないのです。

 

◯「展示訓練」に対する決定的な反戦デモ

 海自舞鶴基地を中心にして若狭湾を取り囲むように配置されている日米の基地群は中国侵略戦争の最前線になります。「展示訓練」は総翼賛体制を構築していくための重大な攻撃です。
 舞鶴を侵略の拠点にしてはならない。侵略戦争を阻止する拠点にしていこう。自衛隊員と家族で1万人が暮らし、舞鶴の人口の10%をこえる人が生活しています。ここで反対の声を上げることが決定的に重要であり、兵士と団結して、共に反戦の声を上げていく闘いになりました。(了)

 

第三次世界戦争を暴力革命とプロレタリア独裁へ転化しよう!

滝山猛師

はじめに

 全労働者階級と人類が例外なく、今、「世界核戦争による地獄か、プロレタリア世界革命で未来をわが手に握るか」を問われている。世界戦争を不可避とする帝国主義と中国スターリン主義や旧スターリン主義ロシアを暴力革命で打倒し、世界の労働者階級が国際的団結でプロレタリア独裁を獲得する以外に全労働者と人類の未来はない。特に青年労働者の未来がない。このことが日々、明らかになっている。米欧日対中ロ戦争として長期化するウクライナ戦争やミャンマー軍事政権による青年労働者と少数民族の虐殺など、これらの一事を見てもそのことを端的に世界に示している。

 国軍のクーデターから約1年半。クーデターから1年後の時点で国内の避難民は42万人超。世界銀行の予測は、2021年9月までの1年間のミャンマーの経済成長率はマイナス18%。160万人が失業(国際労働機関)。国連は食料や医療などの支援を必要とする人が、人口の約4分の1にあたる1400万人以上と予測している。
 ミャンマーでは「正当な政府だ」と主張する組織が2つ。①クーデターで実権を握った軍の暫定政府。②活動家とアウン・サン・スー・チー率いる政党の元議員や少数民族の武装勢力が連携して作ったNUG(国民統一政府)。NUGは昨年5月、国軍統治に対抗する「国民防衛隊(PDF)」の発足を宣言。これに呼応するように各地で住民単位の「自主防衛隊」が結成された。タイ国境のカヤ州・カレンニー国民防衛隊(KNDF)は州全域で約20の大隊があり、数千人の若者らが加わる。軍事政権に若者の未来はない。世界の資本と手を結ぶ軍の銃口で虐殺された若者はクーデター後の半年間ですでに1500人を超えた。若者らは「平和的デモの限界」を己の体と友人・家族への虐殺で知った。ミャンマー全土でZ世代と言われる若者(20代)と各地の被抑圧少数民族の武装勢力が団結し、国軍と武装解放闘争ー内乱・内戦を展開している。国軍を離脱した兵士が武装訓練の指導教官になることもある。Z世代の部隊は武器が不足し、国軍へのゲリラ戦などを駆使しながら戦闘を継続している。「民主主義と人権の防衛」という「非暴力」の闘いは、軍政国家の暴力的打倒ー武装解放闘争ープロレタリア革命へと質的な転換を闘い取りながら革命的な前進にのりだしている。他方、恐怖する国軍は金をばらまき住民の間に密告者グループを組織し、Z世代を潜伏先で逮捕・虐殺を激化している。ミャンマー軍事政権は7月25日、ヤンゴンのインセイン刑務所で活動家や元国会議員など4人に対する死刑執行を強行し、遺体の引き渡しすら拒否し、秘かに埋葬した。徹底弾劾!不屈・非妥協で戦うミャンマー人民に連帯し、ともに戦おう!                         ※ウクライナ戦争に関しては 前号を参照してください。

〈タイとミャンマーの国境付近。少数民族の武装勢力の教官から        武器の扱いの指導を受けるミャンマー青年〉

 

【Ⅰ】武装蜂起と暴力革命

 ※レーニンは帝国主義国家を打倒するには、「暴力革命以外にいななる方法もない」と言っている。
 「戦争か、革命か」を根底から問われている情勢・時代における世界の労働者階級が歴史選択する唯一の道はプロレタリア世界革命‐プロレタリア独裁への武装蜂起と暴力革命への戦いである。自国帝国主義・国家権力打倒への内乱‐内戦・武装蜂起にむけた職場支配権力の奪取と軍隊解体‐兵士獲得への不屈の闘いの実践である。

(一)コミンテルン第六回大会で採択された「党綱領」(1928年)
 「この大衆暴動というのは、ストライキ、ストライキとデモの結合、ストライキと武力デモとの結合、ブルジョアジーの国家権力に対する武装蜂起を伴うゼネ・ストである。闘争の最終的な最高形態は軍事技術の法則に依存し、軍事計画、作戦の攻撃的性格、プロレタリアートの無限の忠誠と英雄的勇気を前提とする。かかる行動は広範な大衆を戦闘部隊‐その形態はもっとも広範な勤労大衆を包括し、活動せしめる(労働者農民代表ソヴィエト、兵士ソヴィエト等)‐に組織し、陸海軍の中における強力な革命活動を行うことをその義務的前提としなければならない」
 
 即ち、プロレタリア革命の勝利は、広範な大衆を戦闘部隊に組織して、武器をもって国家権力を打倒するために起ち上がるところの武装蜂起にまで至らなければならないということ。しかもそれは反戦闘争を軸とする政治闘争としてのゼネストと結合して行われる武装蜂起でなければならない、ということ。〈1917年10/25-26 ボルシェビキの冬宮への進撃(映画『十月』 での再現映像)〉

(二)蜂起の原則
 武装蜂起は、【戦争その他の諸技術と同じく、一つの技術である。もしこれらの法則を無視すれば、それを犯した方は、敗亡を免れない】(マルクス・エンゲルス)

『ドイツにおける革命と反革命』(マルクス・エンゲルス)から引用しよう。
 【第一に、武装蜂起(暴動)をもてあそんではならない。というのは暴動は、毎日その頼みとする勢力がぐらぐら変動するような不安定な勢力をあてにして行うものである。これに反して暴動が戦うべき相手は、組織・規律・並びに伝統的権威という利点を、独占している。したがってこれに対抗し得る大きな反対力を持って来なければ、暴動はたちまち敗北するから。
 第二に、一旦暴動を開始したら、果断に行動し、攻勢を把握せねばならない。守勢に立てば、すべての武装蜂起は失敗である。敵が分散している間に敵を奇襲せねばならない。毎日、小さくてもよいから、新しい戦果を上げることに意を用い、最初の成功によってもたらされた精神的優勢を固く保持しなければならない。そして動揺している連中を味方に引き入れるようにせよ。要するに、フランス革命の時の偉大な革命戦術家ダントンの「大胆に、大胆に、そして今一度大胆に」という言葉に従わねばならない】と。
 即ち、一斉武装蜂起は、最高の段階において必要であると同時に、もてあそんではならいということ。武装蜂起を決断し、決行する場合は、よく客観的条件や主体的条件を鋭く検討し、時期を選ばなければならないということ。 

(三)革命党の「三つの義務」とそれを全面的に実践する党の変革
 今日、全労働者階級と革命を目指す労働者党に問われているのは、レーニン主義の全面的な実践である。2022年革共同・夏季アピール(『前進』第3225号)から引用しよう。
 【日本階級闘争は階級対立の非和解的激突と内乱的発展の階梯(かいてい)を着実に歩んでいる。問われているのは現実の階級闘争の中で「戦争を内乱へ」を実践する党への変革であり、第1次帝国主義世界戦争下でレーニンが『第2インターナショナルの崩壊』で訴えた革命的情勢における革命党の三つの義務の全面的実践である。
 それは①革命的情勢が現存することを明らかにし、その広さと深さを説明し、②プロレタリアートの革命的自覚と革命的決意を呼び覚まし革命的行動に移らせ、③この方向で活動するために革命的情勢に応じた組織をつくりだす義務である。とりわけ革命的情勢に応じた組織に関してレーニンは「日和見主義は合法主義によって育成されている」(同)と危機の時代に社会排外主義に「成熟」する日和見主義について述べ、プロレタリアートが革命的行動に向かう時代においてこそ「合法性に局限されないですむ組織、日和見主義的裏切りに陥る危険をとりのぞく能力のある組織」(同)の建設の死活性を明確にした。
 米日帝の中国侵略戦争阻止闘争こそ、革共同がこのレーニン主義革命論の今日的実践のために党の変革をかけて立ち向かう大決戦だ。もちろんこの闘争は「平和擁護」の類のものでは断じてない。中国侵略戦争阻止闘争とは、労働者階級が自らの力で帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制という世界革命の抑圧体制から解放をかちとり、反帝国主義・反スターリン主義世界革命に向かって階級的団結を拡大していく闘いである。ゆえに党の宣伝・扇動は、プロレタリア国際主義と自国帝国主義打倒の立場を明確に打ち出し、それらを同時に日本共産党など既成勢力の祖国防衛・排外主義への転落との非妥協の闘いと結合し、生き生きと展開されなければならない。そして意識的に合法性の枠組みを突破する闘争を積み上げ、それらを党建設―細胞と地区党の強化・拡大に転じる闘いを実践することだ】、と核心的に提起している。

(四)プロレタリア革命は暴力革命以外にいかなる方法もない
 プロレタリア革命が暴力革命であるというのは、ブルジョアジーを倒すために最後は武力で決着をつける必要があるからというだけではない。もっと根本的には、資本家と労働者を軸とする階級社会(=資本主義・帝国主義社会)の廃絶は、現にあるこの階級社会を徹底的に暴力的な転覆をとおしてしか実現しないということに規定されている。だからこそ労働者階級民衆の権力は「プロレタリア独裁」という形態をとるのである。
 プロレタリア革命とは、労働者階級がその運動をとおして全社会にプロレタリア性を文字通り全階級・全階層に「刻印し、強制する」過程としてのみ進行し、その進展に比例して(=革命党の宣伝と扇動の能力に規定された全民衆の組織化)革命の成否が決するといっても決して過言ではない。〈日米首脳会談・クアッド粉砕! 5・22全国総決起闘争 (東京・芝公園)〉

 

【Ⅱ】武装蜂起を可能とする具体的条件

 1917年10月ロシア革命の経験から、革命が勝利する時期は、国家が、政治的・経済的危機にさらされ、国家の紀綱は非常に弛み、その上、労働者人民の不平不満が高まり、一般大衆が革命を要望するに至るような時期である。
 レーニンは、『左翼空論主義』の中で次のように言っている。
 【資本家から搾取されている大衆が、これまでの方式では生けて行くことができないことを看取してその変更を要求するというだけでは、革命には不十分である。搾取するものの側でも、同じくこれまでの方式では存続することも支配していくこともできないということが、併せて必要である。言葉を換えていえば、搾取する者の側、搾取されるものの側を通じての、全国民的な危機がなければ革命は不可能である】と。
 そして蜂起‐行動開始を可能とする具体的条件を次のように規定している。
 ①労働者人民の革命的気分が溢れ出ており、われわれの革命的行動のスローガンや、指令が自然発生的な大衆の運動から明らかに立ち遅れるような革命的状況にいたり、われわれがその決起した大衆を抑制することが困難であり、必ずしも成功的にそれを抑制しえないとき、
 ②敵支配階級とその陣営内部における不信と混乱、腐敗と崩壊が頂点に達したとき、敵陣営内部からの離反者が、日毎に、否、時間毎に増大するとき、中立分子、幾百万・幾千万の小ブル大衆がハッキリと敵支配階級陣営から離れ、プロレタリアートとの同盟を求めたとき、そのため敵の統治機構が、それとともに弾圧機構の機能が低下し、また部分的に停止し、役に立たなくなり、プロレタリアートの独裁権力のために道を開いたとき。
 ③これら①と②の条件が時間的に一致したとき、である。
               
 即ち、支配階級は自身を喪失し、解体的状態に陥り、労働者階級人民は革命を熱望しているという二つに条件が一致した時期が、一斉武装蜂起のときである、ということ。

 言い換えれば、敵支配階級の軍隊・警察が重装備され、かつ規律、訓練が十分であり、「信念と勇気」が十全であるときは、革命の側が数的に優勢でも、政府軍と正面からぶつかっていっても勝利を得ることは困難であるということ。
 したがって武装蜂起を計画する革命党と戦闘的労働者階級は、蜂起が勝利をえるための準備を目的意識的・計画的に行わなければならないということである。具体的には、
 ①武装蜂起とプロレタリア革命に勝利する労働者革命党組織と地区細胞組織の建設である。国際反戦闘争とプロレタリア世界革命を目指す労働者革命党は帝国主義とスターリン主義反革命との相互絶滅戦であり革命党建設は合法的拠点を死守しつつ非合法・非公然党として建設しなければならない。加えてプロレタリア革命への全過程でプロレタリア独裁を打ち立てる総合的能力の意識的獲得である。
 ②帝国主義軍隊の内部に動揺と規律の乱れを生み出し、将校と下士官・兵士が反目しあい、帝国主義軍隊の兵士としての信念と自信を喪失させることが必要であるということ。そのための帝国主義軍隊・兵士に対する自己解放的決起を呼びかける継続的で間断なき宣伝・扇動戦が意識的・計画的・継続的に必要である、ということ。この課題は全党員が例外なくあらゆる機会を利用して実践・推進する闘いである。
 ③上記②とは、まったく別個に、武装蜂起のときに帝国主義軍隊を部隊ごと(大隊、連隊規模で)革命陣営に移行させ、武装蜂起の勝利を確定することを究極の目的に据えきった、長期強靭な軍隊内革命党細胞・組織の非公然建設の目的意識的・計画的遂行である。
 要するに、帝国主義軍隊に対する革命的工作である。ロシア革命の場合、レーニンは、ロシア軍隊内部への工作を、革命運動の中の最も重要な課題‐工作と位置付け、実に、十数年間にわたり執拗に軍隊工作を続けた。〈ペトログラード労働者・兵士代表ソビエト(タヴリダ宮殿)〉

 

【Ⅲ】武装蜂起の形態

(一)1905年12月モスクワ武装蜂起の概要
 ロシア第一次革命は、ゼネストと結合し、数千の労働者がバリケードをモスクワ市内に築き、武器を手にしてロシア軍隊と9日間にわたる市街戦を展開した。

 【12月5日、モスクワ党委員会は、次の決定を採用した。すなわち、政治的ゼネ・ストの声明をソヴィエトに提議すること、そしてこのストライキは闘争の進行課程において蜂起へ転化することを目的とする。この決定は、労働者の大衆的集会で支持された。・・・・
モスクワのプロレタリアートは蜂起を開始するにあたって、約一千人の成員を有する戦闘組織を持ち、その半数以上がボルシェヴィキであった。その外に戦闘隊はモスクワのいくつかの工場にも組織されていた。蜂起者には、全部で約二千の戦闘隊員が所属していた。労働者は、モスクワの守備隊をまず中立させ、その一部を引きはなして、自分の見方に引き寄せることを計画した。
 12月7日に、モスクワで政治的ストライキが始まった。しかし、ストライキを全国的に広げることは成功しなかった。ペテルブルグはストライキを十分に支持しなかった。このことは、蜂起成功の見込みを最初から少なくした。ニコライ鉄道は、ツアー政府の手中に残された。この鉄道線の運転は止まらなかったので、政府は、蜂起鎮圧のために、近衛連隊をペテルブルグからモスクワへ急派することができた。・・・・・・
 12月9日には、モスクワに最初のバリケードが築かれた。モスクワ全市がバリケードで埋もれてしまった。ツアー政府は砲兵を出動させた。政府は、蜂起者側の勢力よりも何倍も多い軍隊を集結した。幾千の武装した労働者は9日間にわたって英雄的に戦った。ツアー(皇帝)側は、ペテルブルグ、トウヴェル、西部地方から連隊を出動させてはじめて、この蜂起を鎮圧することができたのであった。蜂起の指導機関は、開戦直前に、一部は逮捕され、一部は孤立させられてしまった。モスクワのクラスナヤ・プレスニヤの蜂起は、とくに頑強、激烈であった。クラスナヤ・プレスニヤは蜂起の主要な城塞であり、その本部であった。ここには、ボルシェヴィキの指導下にあった最良の戦闘隊が集中されていた。しかし、クラスナヤ・プレスニヤは、銃と剱で圧殺されて、血の海と化し、砲火による火災は天を焦がした。モスクワ蜂起は鎮圧されてしまった。】

 周知のようにパリ・コミユーンも、普仏戦争で敗北した直後の1871年3月末から5月末までの約2ヶ月間、革命とプロシアに対する降伏反対のスローガンで数十万の労働者・市民軍が大砲その他の武器で武装し、フランス政府軍と戦い、パリを武装占拠した。が敵支配階級の圧倒的な軍事力の前に敗北を喫した。

(二)レーニンのバリケード戦に対する評価
 1905年12月の武装蜂起が失敗したあとで、プレハーノフはレーニンの武装蜂起を非難し、「蜂起は不必要であるばかりでなく有害であり、革命は武装蜂起なしに平和な闘争手段によって達成することができる」と主張した。
 これに対しレーニンは、「否、反対に、もっと果断に、もっと猛烈に、もっと攻勢的に武器を取るべきであった。そして平和的なストライキだけでは不可能であり、果敢、酷烈な武装闘争が必要であることを大衆に説明すべきであった」と主張した。レーニンは、「蜂起」がロシア政府に与えた意識的・精神的打撃と革命勢力の側の威力を示したという点を高く評価している。
 また、当時ドイツのカウツキーが「ロシア革命の展望」という一文の中で、「1848年のパリにおける6月の戦闘も、モスクワにおける12月の戦闘も、共にバリケード戦であった。しかし、前者は古いバリケード戦術の消滅を物語り、後者は新しいバリケード戦術の登場を物語っている。その限りにおいてわれわれはバリケード戦術の時代は過ぎ去ったというエンゲルス思想(※『フランスにおける階級闘争・序文』エンゲルス)を修正しなければならない。モスクワにおいては少数の労働者人民が、近代砲術の精をつくした優勢な兵力に対して、実に二週間の間これに対抗しえたのである」と述べている。当時のレーニンは、後に「背教者に転落したカウツキー」のこの見解には賛成している。〈ボリショイ劇場前で演説するレーニン(1920年)〉

 

【Ⅳ】『ロシア革命史』(トロッキー)が示す1917年10月の武装蜂起の様子

 【首都占領の戦術的計画は、主としてボルシェヴィキの軍事組織によって炸裂された。・・・・首都は軍事的地区に分かたれ、地区はもよりの本部に従属させられた。最も重要な地点には、赤軍の中隊が集中されて、付近の軍部隊と協力していた。これらの軍部隊では、当番中隊は出動準備をととのえて、徹宵(※てっしょう・夜どおし起きていること)していた。ここの作戦行動の目標と、それに用いる武力はあらかじめ示されていた。
 主要な行動は、午前二時に開始された。大抵コミッサー(委員)に指導された武装した労働者や水兵の中核を持つ小さな部隊が、停車場、発電所、食糧倉庫、国立銀行、ドヴォルツォヴィ橋、大印刷工場を、一斉に、または次々に占領した。電話局と郵便局は完全に奪取された。信頼すべき警備隊がいたるところに配置された。・・・・・
 最も強力で最も革命的な工兵大隊第一中隊に、附近のニコラエフスキー停車場を占領する任務が与えられた。ものの15分と経たぬうちに、停車場は一撃も加えずに強力な警備隊によって占領された。政府の部隊は暗闇の中に消えてしまった。内心の激しい驚愕を抑えながら、兵士たちは徒歩するものであろうが、車に乗っておろうが、一切の通行者を忠実に停止させて、丹念に彼らの書類を調べた・・・・・】と。
 つまり、17年10月革命のときは、モスクワはどこにもバリケードは見られなかった、ということになる。数千ないし数万の労働者の武装デモもなく大規模な市街戦もない。少数の技術者と赤軍で構成された一小隊か、せいぜい一中隊が、ボルシェヴィキの命令一下、真夜中に突如、決起し、奇襲的に上記、各場所を襲い占領したのである。交通、通信、電気も、経済活動も一瞬にして停止した。ロシア政府がどんなに多数の軍隊と警察隊を持っていても、これらを統一的に指揮することもできない状態に叩き込んだのである。
 トロッキーはまた、その夜、主として革命側の勢力が少数であったことを述べている。
 【この首都の夜間占領に直接従事した部隊の数を決定することは困難である。‐第一これを数えたものもなければ、記録したものもないからであるが、そればかりでなく、また作戦行動の性格のためでもある。
 第二陣及び第三陣の予備軍は、全体としてほとんど守備軍と合同してしまった。だが予備軍に頼ることは、ほんの時折、必要なだけであった。数千の赤衛軍、二千ないし三千の水兵、多数の歩兵中隊、これが反乱者を助けて首都の主要拠点を占領させた、第一陣及び第二陣の武力であったのである】と。
 要するに、ロシア10月革命の成功は、ロシアの水兵及びモスクワ守備隊がレーニンの軍隊工作によって、武装蜂起した反乱者を助けるか、もしくは少なくとも革命に対して中立を保ったことによって勝利‐成功したと言うことができる。そして、この軍隊工作と同時に、ボルシェヴィキの巧妙な技術部隊の各要点占拠の奇襲作戦が功を奏した、といえる。

 したがってトロッキーは、革命の夜の光景を次のように述べている。
 【一体反乱は何処にあるのか?反乱の光景は一つも見られない。事件は一つの画像にならない。あらかじめ考慮され、整備された一連の小規模な行動は、依然として空間的にも時間的にも相互に引きはなされている。統一ある思想と目的がそれらを統一している。大集団の行動は一つもない。軍隊との劇的な衝突は何一つない】と言っているのは、第一次ロシア革命以降のレーニン・ボルシェヴィキの職場権力の奪取と目的意識的に遂行された軍隊工作の当然の帰結とも言える。
 これが、バリケード戦とは異なるロシア10月革命の武装蜂起である。

 日帝・岸田第二次改造政権は、改憲と軍大化攻撃、米中ロ戦争への参戦に総力を挙げんとしている。世界核戦争への荷担だ。日本の労働者階級民衆は世界戦争への道を断固、拒否し、全労働者と人類の未来を自らの手で切り拓くプロレタリア世界革命への闘いに勇躍し、打って出よう!
 戦争とコロナで無尽蔵の利益を手にするのは資本家である。プロレタリアートが世界革命で手にするのは全人類の人間的解放と真の自由の世界だ!世界の労働者民衆は団結し、共に進撃しよう!そして当面の政治決戦に押しあがっている安倍国葬を実力で粉砕しよう!
(了)