会報 第5号

第5号 2010年1月10日発行

no05

労働者の社会を掴み取るために職場に闘う仲間を作りだそう!

「自衛官との団結は、職場の団結から始まる」
これは、職場の労働者との団結は、同じ労働者である自衛官との団結に繋がると確信したからだ。
私たちは、自衛官やその家族へ呼びかけを行なってきた。隊外から言葉で訴えることは簡単だ。しかし、その言葉に重みがなければ彼らの心には届かない。愛国心教育や監視の目がきつい隊内では、戦争への問題意識や政府批判を口にすることさえできない。
では、自らが職場の労働者に対し、自衛官に訴えているように実践できているのかどうかということだ。
複雑な人間関係が渦巻く職場の中で、団結を呼びかけたからといって、簡単に固い絆はできない。表面上は人間関係の良さを見せかけていても、国の体制や戦争・社会問題について話しを持ち出すと、「固い・真面目」または「左翼ですか」と言いだす人もいる。
真剣に今の社会について考えてもらいたいし、一緒になって闘ってほしいという思いで訴えるほど、なぜか自分だけが浮いているように思えることもある。
私利私欲のためでなく、社会を良くするためにやっているのに何故なのかと悩んだりもする。あきらめそうになる一方で、「こんなことでは職場の仲間や、むしろ自衛官たちとも団結なんかできっこない」という思いに駆られる。
行動に出なくても同じ労働者として共感を持ってくれる者もいることは確かだ。
多くの人は、当たり前にやってきたことを、突然変えられたり批判されることで混乱や不安、または反抗したりと防御反応がでる。
それと同じで、今まで資本主義社会の中で育ってきて、それが当たり前の社会になっている。
確かに資本主義は、社会の発展に貢献をしてきた面がある。その上に、良くも悪くも今がある。
しかし、「勝ち組・負け組み」に言い表せられるように弱肉強食の社会のなかで、弱い立場のものは切り捨てられ、人は人を蹴落としていく。そのような社会に耐えられず精神病を患ったり、生活不安に陥ったりと自殺者も昨年以上に増えているのがこの国の現状だ。 私はこのままの社会がいいとは思わないし、この社会をみんなの力で変えたいと考えている。そのためにはまず、隣の労働者と向き合うことが大切だと考える。労働者という同じ立場である以上、訴え続けることにより、自らが変わったようにやがて相手も変わる可能性があるからだ。 昨春、この会も大きく舵をきった。会員や読者の中には、様々な思想や取り組んでいる運動が違う方もいる。しかし、社会を良くしたいという思いはみんな同じだ。
今の社会を変えるために、全国や世界の仲間と知恵や力を合わせて闘っていきたい。
(事務局 三尾)
——————————————————-

 国労5・27臨時大会弾圧裁判、判決!
懲戒攻撃を粉砕し、検察側控訴を断念させる大勝利を勝ち取る !

京都会員・見谷

 国労福知山分会の原田隆司さん(本会員)へのJR西日本の処分策動を許さない!

★検察側が控訴を断念!

 11月27日、東京地裁刑事第10部(植村稔裁判長)が下した国労5・27臨大闘争弾圧(※)の判決は、5・27被告団の勝利を刻むものとなりました。国鉄1047名闘争(※)の正義が国家権力を圧倒し、国家権力と国労本部に大敗北を強制しました。
被告1人に無罪。本会員の原田隆司さん等に罰金刑という判決内容でしたが、12月12日には、検察側が控訴を断念。懲役攻撃は完全に粉砕されました。
最大の勝利は、被告団の5・27当日のビラまき・説得活動を正当な組合活動と裁判所に認めさせたことです。
検察と国労本部は、一貫して「被告団の行動は労働組合活動ではなく、多数の威力をもってする暴行事件(暴力行為等処罰法)である」として、なぜ被告団が決起したのかということを論証抜きで有罪を主張してきました。
★警察への売り渡し!

特に、02年に政府と各政党が闘うのはもうやめろ、と国労本部に迫ってきた「4党合意」を国労本部が飲み、1047名解雇撤回闘争を解体するために、被告団の存在と闘いを恐れ・・何よりも闘う闘争団との結合を恐れた・・積極的に警察に売り渡すという前代未聞の暴挙に手を染めました。組合本部が現場組合員を警察に売り渡すという行為は聞いたことがありませんでした。
これに対して、判決は「(事件の出発点は)労働組合内の路線対立」と断定し、被告団の5・27当日の闘いを、「正当な組合活動」と明示しました。「各被告の暴行が多衆の威力を示して行われたと認定することはできない」として、暴処法の適用も否定しました。本件を「組織的犯行」にデッチあげた検察側の主張が完全に崩れ去りました。

★1047名解雇撤回闘争を守り抜く!

重要なことは、87年の国鉄分割・民営化によって1047名が首を切られた過程や、国労本部が権力と資本に屈服して解雇撤回の闘いを裏切っていった過程や5・27国労臨時大会に際し国労本部が国労共闘(※)を先頭とする反対派を告訴する目的でビデオカメラを準備した事実などを詳細に認定してことです。およそ労働組合にあるまじき悪行に手を染めており、現場組合員が怒りで国労本部を打倒することを、事実上「承認」したものです。
このように11・27判決は圧倒的な勝利を飾ったのです。この勝利は、国鉄分割・民営化が生み出した1047名解雇撤回闘争に責任をとろうとする被告団の闘いが切り開いたものです。
「労働者は闘っても勝てない」と敗北思想をふりまく、連合や全労連のような資本主義体制擁護の労働組合に対して、大きな一撃を与えました。
昨今の賃下げ、首切り、リストラ、そして「派遣切り」など労働者の権利を剥奪し労働者の誇りを捨て去り、文字通り労働者をボロきれのように使い捨てる資本の考え方ややり方はすべて国鉄分割民営化から始まりました。
原田さんたちは、国鉄1047名解雇撤回は単にJRだけの問題だけではなく、解雇され、路頭に放り出されている労働者や学校を卒業しても就職先がなく、希望も未来も失いかけている青年たちの怒りと社会変革の結集軸になる国鉄1047名解雇撤回闘争の存亡に際して人生を賭けて決起したのです。そして緒戦の裁判に勝ちました。
小沢・鳩山政権(民主党・社民党=連合政権)のもとで、裁判の勝敗以上に、私たちは大きなものを獲得したと思います。

★労働者の戦争動員を阻む5・27の闘い!
 更に、1047闘争自体の圧倒的な展望が切り開かれました。1047名闘争には世界を変える力があります。
国家と資本によって労働者の尊厳が踏みにじられる時、侵略戦争の道が開かれます。
労働組合の連合が民主党政権の中枢を担っているこの小沢・鳩山政権が「労働組合」の名によって労働者の団結を踏みにじり、労働組合を破壊して危機に瀕した資本主義を救済するために侵略戦争を本気に開始しようとしています。まさに1047名解雇撤回闘争を守り抜き、国家と資本に打撃を与えた5・27裁判闘争は労働者に希望を与える歴史的な闘いになりました。

★外注化決戦に立とう!

会員・読者の皆さん。JR東日本は10年4月1日に車両検査修繕の全面外注化を強行実施すると提案してきました。動労千葉や動労水戸がJR東日本に存在しますが、この攻撃は、安全よりも労働組合を全面的に一掃するものです。この攻撃を許せば、05年の尼崎事故の「再来」です。国家と資本側からの国鉄分割・民営化攻撃の完成を狙ったものとしてあります。 それは同時に、全社会的にも波及してきます。病院・役所・鉄道など本来は営利事業とは無関係なところも「収益確保」「コスト削減」の名の下でどんどん労働者の賃金や権利が切り捨てられてきます。「事業仕分け」のやり方がその典型です。その犠牲に真っ先になるのが、JRに勤める平成採用の青年労働者をはじめすべての産別の青年労働者です。青年労働者に民営化の矛盾を押しつけて延命しようとする資本は打倒あるのみです。
逆に、外注化決戦はJR体制(分割民営化)を打倒するチャンスです。JRとJR総連・革マルの結託体制(資本と一体となって労働者の団結と闘いを圧殺しようとする体制・・場所を変えれば資本と結託する労組幹部はどこにでも存在する・・)は青年労働者の怒りで打ち倒すしかないです。この闘いは未決着の国鉄分割・民営化に決着をつける闘いになります。動労千葉・動労水戸の外注化反対のストライキに対する国労本部のスト破りを許すな!
5・27臨大弾圧裁判の勝利こそ、外注化決戦・1047名解雇撤回闘争完全勝利に向けた巨大な一歩を記したのです。

右の写真は12月3日に行われたJR西日本包囲闘争

※国労5・27臨大闘争弾圧 02年5月の国労臨時大会で「4党合意」に反対する闘争団員を除名しようとした大会に反対して闘った原田さん等を逮捕起訴した事件。

※国鉄1047名闘争
国鉄分割民営化で40万いた国鉄労働者は20万も職場から追い出された。87年にJR不採用となり、90年に鉄建公団からも解雇されて今日まで闘っている。

※国労共闘

——————————————————-

闘えば勝てる!国鉄-沖縄・三里塚決戦の爆発で大恐慌を革命へ!

三里塚現闘会員・川森

(1)時代認識と路線が、団結を維持・強化する

世界大恐慌は一段と深化し、行き着く先はドル大暴落だ。大恐慌は大失業と戦争を生み出さざるをえないものとしてある。戦争と大失業、賃下げと生活破壊、民営化と労組破壊の攻撃は万国に共通している。労働者階級が生きるためには帝国主義を打倒する以外にない。大恐慌・大失業と戦争の時代を終わらせるには革命以外にない。11月労働者集会が、世界大恐慌が本格化する時こそ世界単一の革命党を建設し、労働者の国際的団結を強化することだと、世界大恐慌を世界革命に転化することをうちたてたことは決定的だ。新自由主義攻撃の国鉄分割・民営化攻撃と労働組合の団結の強化をもってたたかいぬき、勝利をかちとってきた動労千葉労働運動が、世界革命の闘いの軸にすわったのだ。闘えば勝てる!

(2)普天間基地即時閉鎖・実力撤去、辺野古新基地建設実力阻止!

2万1千の労働者人民が結集した11・8沖縄県民大会をはじめとする、普天間基地移設=辺野古新基地建設攻撃と闘う沖縄を先頭とした労働者階級の怒りは、民主党・連合政権の反動的思惑を突き破って、民主党・連合政権とオバマ政権を決定的に追い詰めている。
普天間基地問題として今日顕在化している事態は、米帝を基軸とした戦後世界体制が完全に崩壊していること、同時に日帝もまた米帝との軍事同盟のもとに生き延びてきた体制が経済的・社会的・軍事的に完全に行き詰まり、もはや「普通の国」(小沢路線)として絶望的跳躍をするしかなくなっているということだ。沖縄基地問題は、米日帝にとって文字どおり帝国主義の死重に転化した。「県外移設か県内か」、あるいは「グアムか他の候補地か」ということが問題なのか?そうではない、11・8で2万1千人の沖縄県民が心の底から怒ったように「基地撤去」なのであり、帝国主義そのものが問題なのだ(米軍再編でグアムへの沖縄海兵隊の移転は事実。同時にその一環として辺野古新基地建設=沖縄基地増強もあるのだ)。求められているのは基地実力撤去であり、当然にそれは帝国主義打倒を意味し、プロレタリア革命が完全に提起されているということだ。民主党政権に入った連合の裏切りと反労働者性は、さらに沖縄県民の怒りを呼び起こすものとなる。基地労働者を始めとして沖縄の労働者階級が闘う労働組合のもとに結集し、階級的労働運動で沖縄闘争の主軸を担うことなくして勝利の道はない。
「今、沖縄県民にとっての弱点は、階級性があまり意識されないということだ。沖縄の労働者はもっともっと世界に誇っていいのだ。…世界の労働者階級の解放のカギを、世界革命の権利を握っているんだと」「ヤマト政府に抵抗するように見えても、ヤマト政府に同調している輩もいる……抑圧され呻吟している沖縄人労働者の足を同じ沖縄人が引っ張っている。それと闘わずして、ヤマトの労働者との連帯はない。…沖縄で日の丸を焼き捨てたのは、何だったのか」(『沖縄民権 第7号』座覇光子)。これが核心だ。三里塚闘争の変質化を願う者と沖縄闘争の破壊者は同じなのだ。体制派を粉砕・打倒し、階級的労働運動を推進することこそ勝利の道だ。

(3)労農同盟の前進で三里塚決戦勝利へ

「資本主義・帝国主義の打倒は今や、農民を始めとした勤労諸階級・諸階層の人民にとって、生き続けるためのきわめて切実な要求となっている。農業・農民問題の真の解決はプロレタリア革命に課せられた大きな課題であり、農民の革命的決起は、プロレタリアートの勝利を決するうえで決定的な位置をもっている。プロレタリア革命における労農同盟の巨大な意義を明確にして闘う。」(綱領草案)。09年の闘いを最先頭で闘う中で、三里塚闘争は、日本階級闘争の戦略的機軸の一角に押し上げられた。空港絶対反対、農地死守・実力闘争、一切の話し合い拒否の闘いを43年間貫いてきた三里塚闘争は、大恐慌と大失業情勢の中で、闘う労働者、農民、兵士、学生の結集軸として、ますます輝きを増している。
10年2月25日、現闘本部裁判が判決公判を迎え、情勢は、市東さんの農地強奪をめぐる実力闘争の局面に一挙に突入する。労農同盟のいっそうの強化が、この闘いの帰趨をきめる。09年の闘いは、この労農同盟の破壊を核心とした三里塚闘争の変質化攻撃との激烈な攻防であり、変質化攻撃を打ち破り、動労千葉を先頭とする労働運動を最先頭で闘う労働者(とりわけ青年労働者、学生)との団結を圧倒的にかちとった。特に9・16千葉三里塚集会は、青年労働者が「第二の動労千葉」となって、日帝、空港公団の尖兵となり労農同盟の分断と破壊を策す塩川派の敵対を粉砕し、新たな労農同盟の発展・強化をかちとったことは決定的だった。これを転換点に、10・11全国集会の1780名の大結集、11・1労働者集会への反対同盟の参加・登壇、そして11・8訪韓闘争への参加と巨大な前進を勝ち取った。2010年、三里塚決戦は、これまでの闘いが常に動労千葉との血盟を核心とした労農同盟の闘いとして、階級闘争の最先頭で闘ってきたように、いや、さらに「大恐慌を世界革命へ!」の闘いの基軸的闘いとして、「検修業務の全面外注化阻止、国鉄1047名解雇撤回、JR体制打倒」の国鉄決戦と一体となって決戦の時をむかえる。労農同盟は、青年労働者の闘いの革命的台頭を得て、さらに強化・拡大している。
最後に千葉県三里塚集会実行委員会に結集する青年労働者(医療労働者、Kさん)の、12・16成田駅頭街宣の総括を紹介して、3・6千葉県三里塚集会、3・28全国現地集会への大結集を呼びかけます。
***********

「今日は現闘+千葉=9人で街宣しました!アジりつつ2時間で400枚配りました。航空労働者が市東さん農地取り上げの誘導路反対の署名をする。仕事帰りの労働者が『三里塚と労働運動がどう関係あるんですか?』と聞いてくる。『成田空港賛成の労働者も、採算とれないからと日本航空の労働者を大量解雇して一方で軍事空港のために空港を大きくしようとしている!』と話すと、『それは矛盾している、それは反対だ!』と怒りはじめる。
学校帰りに立ち止まって署名をしてくれる中学生・高校生。『あなたこそが決定的なんだ!』と話すと照れる彼ら。『どーやって資本家に自分を高く売るかじゃなく、資本家を倒して労働者の手に社会を奪い返すための学校に来ないか!』と提起すると、動労千葉への行き方を走り書きしたメモをしっかり受け取る学生たち。
タクシー労働者が寒い中窓を開けてビラを受け取り、『いつもここで街宣やってるね!がんばって!』と笑顔でエール。これまで現闘が駅頭に立ち続けた土台の上に今日の感動的合流が果たせたんだ!成田の地に三里塚闘争が、反対同盟・現闘が屹立していること、その圧倒的正義に獲得されてきた広範な労働者の存在!その裾野の広さに労働者階級が空港公団・資本家を追い詰めているんだと確信した。
いま何が問題になっているのか!資本主義の枠内で部分的な権利を勝ち取るこれまでの労働運動が限界にきていて、今まさに資本家なんていなくても労働者が社会を動かせる!と言い切れるそもそもの労働運動の原点に立ち返って労働運動を甦らせることだ!『労働組合の権威じゃなく、あなたとわたしの団結つくればそれができるよ!』と提起すると、『労働運動のあり方が問題になってるってこと、それすごくよくわかるよー』、とキラキラした目で一瞬にしてつながった労働者。やっぱり労働者階級は一つだ。
こーして今日わたしたちは成田の労働者階級に獲得されたのでした。この地平はみんなで作ってきたものだ。この団結に自信を持とう!!
トゥジェン!闘おう!
——————————————————-

09年東京西部ユニオンの闘いと動乱の2010年へ!

●09年切り開いた地平

 10年の激闘は、すでに、昨年の11・1労働者集会の大勝利を基軸に暴処法弾圧を粉砕した5・27裁判闘争、そして8学生年内奪還を実現したすばらしい闘いによって火蓋は切って落とされました。今年も元旦早朝から全逓ビラまきに決起しました。
09年の闘いは資本主義を「本気で打ち倒す」と言いうる「土台を築いた」。と言えると思います。その最大の根拠は、綱領・路線の確立と全職場での資本・体制内勢力との絶対非和解の必死の激突だと思います。そして、具体的戦略的物質力として8・30以降の数々の決定的な闘いが勝ち取られ、そのいっさいの総括軸として11・1 をぶち抜いた。そういう点で08年を画然と乗り越えた勝利性・世界性が実践的に有る、という事だと思います。やっぱり、ものすごいと思います。その地平に起って10年は、その高みを本当に・全面的に発揮していくべき「第一年」だと思います。
その「高み」から09年のユニオンの闘い、その一翼を担った自分をふり返る時、改めて飛躍すべき課題が見えてきたように思います。
(写真 日逓中野の就労闘争)

●これからが肝心

ユニオン09年の闘いは、世界大恐慌と大失業情勢と対決し「生きさせろ!ゼネスト」を掲げ、動労千葉派・11月労働者集会派の一員として、ユニオンの闘う路線の中軸に「国鉄1047名解雇撤回を基軸に4大産別決戦」を据え、すべての職場の闘いを「戦争・改憲、民営化・労組破壊」攻撃と全面対決で闘い、この勝利の路線を「ユニオンの中に確立する」闘いとして貫徹されました。がしかし、鈴コン分会をめぐる激突の攻防を見据えるとき、喜んでばかりはいられない思いです。根底的に問われたのはユニオンそのものであり、他ならぬ私自身だったからです。その前面に仁王立ちして闘い抜いた吉本委員長と分会の仲間たちと本当に団結できるのは、これからだと肝に銘じなければなりません。
ユニオン09年の闘いは、大きく前半戦の日逓中野・小林闘争を中軸とした闘い。後半戦は鈴木コンクリート(鈴コン)分会の攻防に分けることが出来ると思います。ただ忘れてはいけない事としてこの他の分会の闘いや、青年たちの闘いが有ったことです。紙面のスペースと私の力量の問題で書けませんでした、お詫びします。

●突破口開く

1月冒頭から、日逓中野・小林闘争を中軸に総力で闘いました。この闘いは職場での一人の決起から始まり、4大産別決戦そのものとして闘い抜き、ついに「郵政民営化絶対反対・JP労組中央打倒」の戦略的勝利の突破口を切り開らくと共に、青年労働者が闘いの先頭に起つことをとおして地区の闘いを牽引し、産別を越えた新たな青年労働者層の獲得の突破口を切り開きました。

●青年労働者の決起

小林君は、一昨年(08年)12月31日、業務中に接触人身事故を起こし、09年元旦から「出勤停止」処分。会社は事故報告書以外に「解雇」されたくなければ、会社に対する「全面謝罪文」を書けと強要。小林君は「事故の責任は労働者にない」と「謝罪文」を拒否し職場で決起しました。新たな「絶対反対」闘争への突入です。これに対し会社と体制内労働組合幹部は激甚に反応し、会社は「雇い止め解雇」の恫喝、JP労組・日逓中野分会長は「組合という組織で小林を動労千葉派ごとつぶす」と宣言、全面対決に突入しました。

●絶対反対・解雇撤回

緊急の職場闘争委員会を連日のように開催。この闘いを「民営化絶対反対」の4大産別決戦の一角をぶち抜く絶好の好機としてとらえ、ユニオン総力で取り組みました。「事故の当該労働者を守らない労働組合は間違っている」との主張は、労働組合の階級的原則をかけた主張として体制内労組幹部と資本を直撃。職場に共感を生み出し、ついに2月解雇攻撃を完全に阻止し勝利しました。
4月27日、小林君を含む「集荷パート臨時職員」14人全員に「5月末解雇」が通告され、派遣労働者数十人が同時に解雇されました。この許し難い大量解雇攻撃に対し、小林君を先頭に「解雇絶対反対!14人全員をこのまま働かせろ!」と社前闘争を展開。
資本は小林君に「一旦解雇・目黒なら再雇用」の屈服をせまった。彼は屈服を拒否し断固闘うことを決断。「郵政民営化絶対反対、解雇撤回」を掲げ全逓労働者と共に闘うと決起しました。小林君を先頭にユニオン青年部・地区・産別の仲間たちも決起。5月~6月の連日闘争に先頭で決起し、徹底非妥協で闘い、JP労組幹部の裏切りを絶対許さず、労働者は団結して共に闘う仲間であり、団結すれば世の中を変えられる事を示し訴えきった。6・14~15の労学共闘の連続中央闘争、さらに6・17~JP労組仙台大会闘争にも決起。7・25東京青年労働者集会は、日逓・小林闘争が中軸となって開催されました。これらの闘いは、国鉄1047名解雇撤回闘争を基軸とした4大産別決戦の爆発を決定的にこじ開けると同時に、産別を越えた青年労働者の新たな決起を生みだしさらに発展しています。

●決定的な闘い

ユニオンにおける09年後半戦のメインは11・1総決起をはさんだ、鈴コン分会をめぐる激しい攻防・激突を基軸に展開されました。3ヶ月雇用のアルバイトの組合員が、実力で資本のでたらめを粉砕して、一歩づつ職場支配権を握れる団結をつくれるか否かがかかった決定的な闘いです。
鈴コン分会の闘いは、ユニオンが本当に「闘う労働組合」になれるかどうかを賭けたすざまじい激突をやり抜いて、勝利を握りしめた!課題は山ほどあると思います。けれど、まずは勝利したと確認したいと思います。

●絶対非和解の激突

「天国と地獄を見た」(吉本委員長)。それほど激しさと根底性が在った。自分が組織し、仲間だと信じていた分会長に裏切られたのだ。それも11・1直後である。これに対し吉本委員長先頭に仁王立ちとなって激突し、断固闘い抜き粉砕した。この闘いは、三役の一人である私自身も根底から問われる闘いでした。
鈴コン分会における組合破壊・団結破壊との壮絶な攻防は、後のない世界大恐慌情勢に規定されて資本・権力とその先兵・体制内派との絶対非和解の激突そのものとして闘われ、敵の狙いを粉砕して、われわれは勝利した。
分会組合員数は最大時の半数以下になった。けれど、何よりも、残った分会員一人一人が、自分の事として「吉本と団結して共に闘う」と新たな飛躍を賭けて決起していることです。団結をより一層打ち固め、共に2010年の激闘に臨みたいと思います。

——————————————————-

米軍軍医の「隊内反乱」 京都 岐部

【『坂の上の雲』の時代】

米露留学の帰途、秋山真之・広瀬武夫両大尉が建造中の「三笠」を見学したと原作にあります。時は94~95年の日清戦争から10年後の日露戦争にかけての資本主義の急激な形成期。日露戦争に備えて軍備拡張費は97年だけでも国家予算の55%に。増税に次ぐ増税、無権利状態の奴隷的労働の中で、労働者は各地で生きるための闘いを開始しました。
98年には東北地方で鉄道機関士400人がストライキに決起し勝利。

【「三笠」の反乱 】

同年、海軍省は最新鋭の戦艦(日本海海戦の旗艦「三笠」)を英・ビッカース社に発注しました。
01年、この「三笠」を引き取りに行った水兵189名がバロー港で下甲板に5日間籠城しストライキを決行。差別待遇への怒りの背景には軍部と三井財閥の腐敗がありました。
翌02年には呉軍港内の軍艦「筑波」での121名の水兵によるストライキ。ちなみに原作者司馬遼太郎はこの「三笠の反乱」とその後の水兵による「三笠爆沈」(05年佐世保湾に一年近く沈没339名死亡)や12年の「三笠火薬庫放火」には全く触れていません。 その40年後、アジアで2000万人を虐殺してきた「天皇の軍隊」は、各地の民族解放戦争により敗退していきます。その過程の43年は1割、44年は2割が戦病兵の内「精神病」と認定。また二次大戦の戦死者230万人の半数が主に南方戦線で餓死した「戦病死」者です。

【米軍の解体的状況】

大恐慌による大失業と戦争。カリフォルニア州では税収のため大麻の合法化も検討。泥沼化した「石油資本」のためのイラク・アフガン戦争は200万人以上の民衆を虐殺し米兵の死者は5000人超。退役軍人省の推定でも20万人の退役軍人がホームレス。しかも派兵160万人の内30万の帰還兵がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に。米国籍取得のために志願した6万8千人のグリーンカード兵。
5月11日にはバグダッドの米軍基地カウンセリング施設でイラク従軍3回目44才のジョン・ラッセル兵士が銃を乱射し5人の兵士が死亡。この時点で米兵による米兵「殺害事件」が5件発生。「部隊展開力が危機(ゲーツ国防長官)」「軍がほとんど崩壊している(パウエル元国防長官)」

【ハサン少佐の「反乱」】

そういう状況の中で、イラク・アフガンへの派兵拠点で既に500人の戦死者を出しているテキサス州フォートフッド陸軍基地で11月5日、米軍軍医による「隊内反乱」が起きました。同基地にこの7月に配属されアフガン派兵が予定されていた軍医のハサン少佐(39才)が派兵直前の健康診断を受けに来た 300人の兵士らに拳銃を乱射。兵士ら13人が死亡30数人が負傷しました。
米軍当局の調査でイスラム教徒であることを自己申告したムスリム兵は3500人。推定では米軍全体で2~3万人とも言われています。ハサン軍医はその一人です。両親がパレスチナ移民。奨学金で大学に行き「生きるために」軍隊に。しかし大義無き戦争。軍医が「向精神薬」を野放図に処方しバラまく戦場。半分が病んでいる帰還兵。隊内反乱を不可避とする「天皇の軍隊」やベトナム戦争を超える侵略軍隊の疲弊と解体的危機の深さ。その米軍に身を置きながら「イラク・アフガン反戦」を表明する精神科軍医が帰還兵の生死に関わる中で「戦争とアフガン増派の即時停止」のために止むに止まれず「実力で決起」した。これがハサン軍医の「隊内反乱」だったのだと思います。11月労働者集会で示された「国際的な労働者の実践の共同闘争」。「世界単一の階級である労働者の国境をこえた団結の強化と労働者・兵士の階級的団結」(会の趣旨)。これを民族・宗教・国境の分裂を超えた「自衛官(兵士)との団結は職場の団結から始まる」労働者の闘いで前進させましょう。